名をつけること

    『ハリー・ポッター』の中で、みんなが忌み嫌うあまり“He-Who-Must-Not-Be-Named”と呼んでいる悪者を、ハリーだけがしらっと“ヴォルデモート”と呼ぶくだりがある。

    私が一時つきあっていた英国人の医者は、専門医より一般医になることを選んだ理由として“診断”の大切さを話していた。「具合が悪いのが長引いて、酷くなってくる。心が不安でいっぱいになる。医者に行く。診断を受ける。その診断名が“癌”だったとしても、衝撃がどんなに激しくても、わけが分からないまま苦しみ続けるのとは違う。悪いのは癌で、私じゃない。癌があるのは腎臓で、腎臓は私じゃない。診断=名をつけることによって病気を客体として自分から切り離し、それに対して闘い始めることができる。治療の第一歩は診断なんだよ」。

    名を口にするのも憚られる化け物が、名を呼んだとたん、対峙できる敵となる。

    これはとてもキリスト教的な考え方でもある。人と神が我汝の関係にあり、すべてのものに名がある文化、融合や調和といった概念には疎い人々の考え方だ。キリスト教の神は「神はあなたを名指しで呼ばれる。神はあなたの髪一本一本まで数えておられる」などという人格神。んなバカな、と私は思うが黙っている。

    正反対の文化をもつ日本では、「私は癌です」と言い“I have cancer”とは言わない。関西の人が多用する“あんた”という二人称代名詞は関東ではけんか腰に響く。関西弁の“あんた”は関東弁の“あなた”より遥かに柔らかい語だが、そんなこと関東人は知らない。自他の区別が対立を呼び不調和を招くという文化土壌があるから、日本語(標準語)では人称代名詞をあまり使わないのだ。

    そんな関東で育った私は、はじめて渡英しホームステイしていた頃、親子が“you”と呼び合うことに軽い目眩を感じた。2歳の子ですら親と自分は一心同体ではないと自覚せざるを得ない、そういう言語と文化を理解しはじめた瞬間だった。

    テーマ : ヨーロッパ
    ジャンル : 海外情報

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    たとえば畏怖なんて

    ”例のエッセイ”を書き直している中で、「もののすべてに名前をこしらえてしまったような国の人びと」という箇所を入れました。夫にはどうしても「畏怖」がわからないと言う会話からヒントをえて。

    たとえば、小さいときに夜中にトイレへ行くことが怖いとか、靴下を履いて寝ると親の死に目にあえないという言い伝えや、風や雨が激しかったりすると、ああ、神様が怒っているのねなどと大人に言われたものでした。そうした経験も感情を抱いたこともないと言われ、小さな衝撃を受けたばかりでした。

    ハワイやオーストラリア、アメリカならネイティブインディアンなどが住んでいたような場所には、必ず原住民の言い伝えや教えがあります。そうした場所には地震が起こり、そのあとに津波といった自然災害から逃れられない中で培われた日本に酷似する文化があるのかと思ったりしています。

    Re: たとえば畏怖なんて

    実は、名をつけること‥‥と考え始めたのは、MGBさんの「もののすべてに名前をこしらえてしまったような国の人びと」というフレーズがきっかけなんです。

    そうですね‥‥。天に挑み自然を服従させようとしてきたヨーロッパ・キリスト教文明は、どこまでも砂漠の宗教ユダヤ教の子です。海を真っ二つに割って渡ったり、人があらゆる生物の頭として創られたりする宗教です。それゆえに、運命に果敢に挑み続け科学や哲学や医療の発達を促してきたとも言えるのですが。

    日本人は、荒海に囲まれた島に生き、災害や戦乱でほぼ50年おきに壊滅的打撃を受けてきた歴史の中で、カミ(地震カミナリ火事親父)に抗ったってしょうがない、それより抱いてもらって生きようと思ったのかもしれません。永続するものなど何もない、祇園精舎の鐘の声。この民族が法隆寺のなだらかな屋根を作り、散る桜に美を見出すようになったのは、それなりの訳があるのでしょう。

    マッターホルンと富士山の違いと言いますか。

    しかし、日本人がアボリジニやアイヌに共通した精神性をもっている/保っているかは、私には何とも言えません。日本人は優しく柔らかいのと同時に、もの凄くご利益主義で計算高く、集団になると残酷なところがあるので。

    東日本大震災の時、東北の人々は世界が驚く沈着さで運命に耐え頑張りました。その一方で、避難所を出て(解放された)温泉宿へ移ることを選んだ人々は、失った家屋や家族を探しに「また寄らせてくださいね」と挨拶すると、「お前らのような身勝手な裏切り者は二度と戻ってくるな」と言われたそうです。

    好き嫌いで言えばヨーロッパ人を好きではないのですが、どっちかというと日本人の方が私にはよく分からないのです。

    No title

    シカさん、たびたびすみません・・・・・

    私の頭はときに都合よく解釈する癖があり、すっかりと忘れていたことをはたと思いだして、そうだったと。震災の後、渡仏する決断をした際に、東北の方がおっしゃったように「おまえらのような裏切り者は二度と戻ってくるな」的な雰囲気が友人たちにあって、以後、私は連絡をとらなくなった人が非常に多いのです。

    日本人がよく分からないというシカさんに、そうです、私も日本人がわかりませんとお伝えしたく。集団になったときの残酷さは今朝のニュースでも垣間見れます。
    プロフィール

    シカ

    Author:シカ
    夫のカエルとともにヨーロッパに住むシカです。シカは日本生まれですが、ここ20数年イギリス、フィンランド、ノルウェー、スペイン、ドイツ、振り出しに戻る(イギリス)と流れてきました。カエルはフランス生まれです。詳しくは自己紹介ページへ。

    引用・転載は原則として歓迎ですが、事前にご一報ください。どのような論旨・目的での引用・転載か、把握しておきたく存じます。

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