シングルモルトの里へ、呑みに行く

    うつ病の人には誕生日は高リスク期のひとつ。“何も成し遂げないまま、また一歳老けた”ことを忘却するまで呑ませるという夫の戦略で、私の誕生日を挟む2泊3日、スコットランドはアイレイ島へ行ってきた。

    ロンドンシティ・エアポート(うちの最寄り駅からDLRでたったの2駅!)からグラスゴーへ1時間半、そこからプロペラ機でテケテケ飛ぶこと30分。島の飛行場に着いた時には終バス(5時半)が出た後だった。停まっていたタクシーに尋ねたところ「いや、俺は別の客を待ってるとこでね。島にはタクシーがあと2台いるんだけど。電話してみれば?」。電話しようと試みたら、携帯の電波がない。困っていたらさっきのタクシーのおっちゃんが腕を振り回して飛行場の建物を指差している。あ、中に公衆電話があるんだ‥‥。

    吹きっさらしの野原の真ん中の飛行場前で待つこと10分。“キャロルのタクシー”とお腹にでかでか書かれたライトバンが現れた。“キャロル”が、いろいろ島のことを説明しながらホテルまで運んでくれた。島の人口は2500人、ほとんどがウィスキー蒸留所か、蒸留所目当ての観光客をもてなす商売で食べている。蒸留所は8カ所、どこでどんなテイスティングをやっていて、料金はなんぼで‥‥。「ホテルからは車で30分ぐらいかかるわよ、バスだったら1時間かな〜」。地図を見ると道は一本しかない。どうやってそんなに差が出るのか?

    翌朝、バスの時間をホテルの中で待っていたら、女主人が「早めにバス停に行きなさい。一本逃したら次は2時間待ちだから」と教えてくれた。たしかに、時刻表より5分早く来た。バス運転手は乗客全員と知り合いのようだ。島唯一の街ボウモアを通過する時には、「ちょっと両替してくる」とバスを放置して行ってしまった。生協の店に入って、他の客と喋っているのが見える。出てきたと思ったらやにわに電話しはじめた。あ、ここしか電波が届かないのね‥‥。それからタバコを一本。次に、隣のホテルに入ってしばらく後にコーヒーを手に出てきた。その間、見捨てられたバスの乗客は世間話で盛り上がっている。キャロルの言ってた「バスだったら1時間」の意味がようやく見えてくる。

    悠久の時の末、11時過ぎに目的地のラガヴリン蒸留所に辿り着いた。11時半の試飲ツアーは? 「あるんだけど、今日だけないの」。何だそりゃ。次のは1時半。しかたない、隣のアードベグに先に行こう。「歩いてどのぐらい?」「すぐそこよ、15分ね」。‥‥しっかり30分は歩いて“隣”に到着。ここでは躾の悪いフィンランドの若者一群、システマティクにスコットランド全土の蒸留所を踏破しているドイツ人お一人様などに混じってしっぽりと見学と試飲をした(結局、この2組とは終日同じコースを辿る羽目となる)。

    アードベグ蒸留所は気合いの入った新しい建物で、見学者をかなり意識した構造になっている。ピートを砕いて炊いた煙で麦を蒸して糖化させて蒸留して‥‥だんだんそれらしい匂いと色になっていく。ガイドの子は気さくでお喋りだが訛りが強い。フィンランド人は半分も理解してない様子で、笑うべきところで笑いが出ない。ドイツ人は試飲しつつ的確な質問を発していた。終わったのは1時ごろで、ラガヴリンに1時半までに戻るには、座ってお昼を食べる時間がない。カフェの人に事前に頼んでおいたサンドイッチを受け取って、すぐに引き返した。

    ラガヴリンはもっと古く、蒸留所そのままの姿だった。ガイドは最初は無愛想だったが、だんだん調子が出てきて、見学順路が終わってテイスティングに着席するころにはすっかり打ち解けていた。ゆうに1時間はかけて5種類のシングルモルトを飲み比べる間、フィンランド人一行は完全にアウェー状態で、あのひでぇ東北方言みたいなフィンランド語で私語に夢中になっている。やっぱ北欧人って未開だわ‥‥。なのでガイド嬢はもっぱら我々文明人(ドイツ人、スイス人、フランス人、日本人)相手にいろいろ興味深い話をしてくれた。

    なんでもウィスキーは古けりゃいいってもんじゃないらしい。16年〜30年ものを境に、それ以上熟成すると度数も下がるし角が取れすぎて面白味がなくなるそうだ。人間みたいだね。ガイド嬢自身、44年ものを試飲したことがあるが「古毛布みたいでひどかった」そうだ。どうひどいのかは古毛布を味わってみないと分からない。

    Q:試飲に来るのはどの国の人が多いの?
    A:やっぱり北欧やドイツが多いかしら(あいつらみんな、呑んべえだからね)。日本の人もけっこう来るわよ。日本人は真面目で、蒸留過程を一心不乱にメモとってるわね。
    Q:輸出先は?
    A:ヨーロッパ、日本。中国人も最近ウィスキーをたくさん買うようになったけど、ほとんどがブレンド。質より量っていうか、味はあんまり分かってないみたい。アメリカはバーボンがあるから、シングルモルトの市場は一部に特化されてる。日本人はすごいわね。私の祖父も出張で行ったことがあるんだけど、ラガヴリンの人間だからってサインを求められて、「お願いですから作り方を教えてください」って頼み込まれたって言ってた。作り方も何もねぇ。「適当に、様子みながら、ゆっくり」‥‥。だってそうなんだもん。でも、そんなはずない、何か秘密があるでしょって突っ込まれて困っちゃったって。

    さて、最後のラフロイグに着く頃には、朝からサンドイッチ一切れで歩きっぱなし呑みっぱなしだったので、もうフルコースの見学はいいやという感じになっていた。ミュージアムの一角に陣取り、受付のおばさんが持ってきてくれたトレーの6種類のモルトをちびちび舐める。さっきのドイツ人がまた現れ、お一人様でさすがに退屈したのか一緒の席に着いた。ドイツ人は、ドイツの外で出会う分にはフツーに感じのよい人たちだ。

    ドイツ人の蘊蓄に耳を傾け、受付のおばさんとも無駄話をした後、終バス(5時過ぎ)をつかまえるべくラフロイグを後にした。バスの出る港まで、おばさんは徒歩10分と言ってたから、20分かなと思いながら歩いていると、後ろから来た車が停まった。「港でしょ? 乗ってく?」。ラフロイグで働いている地元の青年だった。この島の人たち、なんかみんな人が好いぞ。

    翌朝、ホテルで朝食を食べていたら、空港へ行くべく頼んでおいたタクシー運転手とおぼしきおっさんが入ってきた。まだ8時20分、頼んだのは8時45分。「8時半って言われたんだけどね」といやにきれいな英語(スコットランド語ではなく)で言う。時間が前後に自由に動く島のようなので、もう気にならない。「荷物まとめてくるから10分待ってくれる?」と頼むと分かったと出て行った。さて、汚い車がやってきたのは20分後。座席は犬の足跡だらけだ。

    運転席についたおっさんの正体は、島の大地主だった。島の人間ではなくスコットランド南部の某一族の出身で、15年ほど前にこの島の半分以上を買収して管理のため移住するまでは、イギリス軍の将校だったという。どうりで訛りがないわけだ。「今朝は島のタクシーがみんな出払っててね」。地所に建つホテルも彼の所有で、部下であるホテルの女主人に昨晩頼まれて急遽、宿泊客送迎と相成ったそうだ。

    おっさん改め島の主に見送られて、イングランドへの帰路についた。なかなか味のある旅であった。

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    No title

    シカさま、こんばんは

    こちらではNHKで、「ニッカウヰスキー」の創業者の朝ドラが始まっています。
    そんな時に、スコットランドのお話ではありませんか。
    嬉しくなりました。

    とても素敵な旅行記、最後は島の大地主さん運転の車ってところがまた面白いオチですね。

    熟成しすぎても古毛布の味みたいになるって、ほんと、どんな味でしょ?

    Re: No title

    mikaidouさま、

    NHKの朝ドラ、観たいです!
    おこぼれで、アイレイ島も近々日本人観光客急増かもですね。
    うちの近くのグリニッチにある海軍士官学校も『坂の上の雲』の舞台とかで、
    モックン(俳優?)がロケした場所だとキャーキャー写真撮ってる日本人がよくいます。

    スコットランドの田舎の空気といえば、1980年代の映画で『ローカルヒーロー』というのがありました。
    アイレイの大地主兼タクシー運転手を彷彿とさせる、宿屋のウェイター兼オーナー兼村の会計士兼‥‥という人が出てきたり、人の好いおばさんが意外とスケベだったり(記事では割愛したけど、ホテルの女主人と一幕あったのです)。
    露骨な性描写も暴力も大展開もないのに、じわりと心に沁みて、そのまま心に居座る映画です。おすすめ。
    http://www.allcinema.net/prog/show_c.php?num_c=25555
    プロフィール

    シカ

    Author:シカ
    夫のカエルとともにヨーロッパに住むシカです。シカは日本生まれですが、ここ20数年イギリス、フィンランド、ノルウェー、スペイン、ドイツ、振り出しに戻る(イギリス)と流れてきました。カエルはフランス生まれです。詳しくは自己紹介ページへ。

    引用・転載は原則として歓迎ですが、事前にご一報ください。どのような論旨・目的での引用・転載か、把握しておきたく存じます。

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