赤ゲット

    にとって私は「お客様に出せる妻」らしい。ヨーロッパの習慣や社交儀礼(というか、愛想)に精通しているので家族や友達の前で恥ずかしい思いをさせられた試しがないという意味で。もちろんはじめからそうだったわけではない。百戦錬磨、血の汗流し涙を拭かず巨人の星をつかんではいないが、に会った時点では今の形に完成していただけだ。

    両親は昔、赤ゲットという言葉を使っていた。西洋の習慣に慣れない(日本人)洋行者、という意味だ。

    私が8歳の時、親の仕事仲間の宣教師宅にお泊りに招かれた。その家にはジェイバン先生と奥さんのニーバ先生、私の兄と同い年のネビン、私と同い年のシャーナが住んでいた。広い家、お肉たっぷりの食事に甘いケーキ、でっかい冷蔵庫などにワクワクした後、二階の浴室からニーバ先生が「さあ、みっちゃんもシャーナと一緒にお風呂に入りましょう」と呼ぶ声がした。浴槽とトイレが同じ部屋にある浴室というものを、私はそれまで見たことがなかった。浴槽にはシャーナが入っていて、ニーバ先生が娘の髪を洗っていた。トイレは、誰も使っていない。今にして思えば不思議な発想だが、私は子供の頭で「この部屋に二つの設備があって一つが使用中ということは、私はもう一つを使わなければ」と考えたのだった。その後の顛末は想像にお任せする‥‥。

    まあ、こういう激しいのは置いといても、日本の観光地では洋式トイレに「便座の上にしゃがむなかれ。顔をドアに向けて座るべし。紙は汚物入れに入れるなかれ」という趣旨の中国語と絵入りの説明プレートが貼られている。もちろん、中国人は中国式が正しいと思っているので、効果はない。

    その点、私を含め昔の日本人は恭順だった。昔の海外旅行パンフレットには「湯を使いすぎるな、浴槽の外で身体を洗うな、スープは無音で食べろ、謝る時に微笑むな、日本の外ではお客様は神様ではない」などと事細かに渡航先のマナー注意書きが載っていた。ツアコンが出発前の空港での“結団式”(決断式と言った方が合いそう)で「皆さんは民間大使です。一人一人の行いが日本の印象を左右します」とレクチャーを垂れ、ツアー客は地雷を踏まぬようビクビク行儀を正していた。

    今では日本人も自信がついたのか、中国人並みに“気にしない”人が増えてきた。ヨーロッパの高級レストランで数皿を数人で“シェア”し、盛大に鼻をすすりながらパンを丸ごと口に押し込む日本のお嬢さん方。国際線の機内食の器を口元まで持ち上げクチャクチャ音を立てて食べる日本人ビジネスマン。通訳のお客さんに「ホテルの浴室水浸しにしちゃったよ」と自慢された時には私も青くなった。

    どの土地にも階級にも掟は山ほどあって、それぞれ流儀が違うのでややこしいったらない。老兵の私でさえ未だに予想の斜め上を行くツッコミを入れられることがある。イギリス中流上層出身の前によるとビールの瓶飲みは「下品なアメリカ人のすること」。それをフランス中流中層出身の現は家でやる(さすがにレストランではやらない)。現はワインの瓶の腹を持って首に手を添えたり(日本のお酌式)、首を持って注ぐ(日本のオヤジ式)のは絶対だめと言う。前はそれは見咎めなかった。

    昨日、近所のオステリアでピッツアを食べていて隣のテーブルのドイツ人がビールを瓶飲みするのに気づき、あーめんどくせぇと思った私は、夫にそう言った。「私はけっきょくガイジンなんだもん。こっちの流儀に合わせてるけど、間違えることだってあるよ。私は、あなたが日本でヘンなことしてもいちいち目くじら立てないでしょ。日本人はガイジンに優しいし」。夫は大きな目を丸くして私を見た。薄い青緑色の目はウソがつけない。「そうだね。君にばっかり要求しちゃ不公平だね」。素直に反省した彼を見て、たまにはボソッと言ってみるもんだね、と思った。今度から、居酒屋でのっけからご飯もの頼まないでね。

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    ジャンル : 海外情報

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    シカ

    Author:シカ
    夫のカエルとともにヨーロッパに住むシカです。シカは日本生まれですが、ここ20数年イギリス、フィンランド、ノルウェー、スペイン、ドイツ、振り出しに戻る(イギリス)と流れてきました。カエルはフランス生まれです。詳しくは自己紹介ページへ。

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