フィンランド 1991-1992

    住んだことのある国の中で、フィンランドのことをほとんど書いてこなかったので、ちょっとだけ。

    私は1986年にイギリスから日本へ帰ってすぐ語学教材出版社に雇われ、馬車馬みたいに働いた。3年ほどしてイヤになり、翻訳とライター業で独立したものの、食いつなぐだけの日々に閉塞を感じていた。そんな時某業者が営利目的でやっていたインターンシップなるプログラムを見つけた。作文で入賞すれば渡航費がタダになるというので応募してみた。自腹切ってまで行きたいとは思ってなかったので“タレントスカウトに姉が勝手に応募した”程度のノリだった。結果、あったり〜。で、アメリカ西海岸かフィンランドという究極の悪選択を迫られ、フィンランドにした。

    ヘルシンキ商科大学というところの日本語学科アシスタントという名目だったが、日本在住経験が長くペラペラ喋れるだけで日本語用法の一から分かってないフィンランド人上司のペット扱いされ、えらい目に遭った。それでも初めての北欧、いろいろ物珍しくて面白かったので、半年の契約期間が過ぎた後も友達の会社で働いたりフォークハイスクールへ行ったりで、都合2年近くフィンランドにいた(当時のイミグレーションコントロールは本当に緩かった‥‥)。

    フィンランドではその頃、史上初めての“難民”というものが現れて大慌てだった。ソマリアから数千人、若い難民がやって来たのだ。たかが数千人、されど数千人。フィンランド人はそれまで、髪の黒い人間というものすらほとんど見たことがなかった。なので黒人を意味するムスタライネンという言葉を私にも使った。ソマリアから若者が上陸した途端、ウルコマライネン(外国人)という語がパコライネン(難民)と同義になった。

    当時のフィンランドは日本並みに英語が通じなかった。当然、私もヘタクソなフィンランド語を話すしかなかった。フィンランド語というのはヨーロッパ言語ではなく、実に奇怪な語彙と発音と文法をもち、ウラル語族の一つとされる。発音は、日本の東北弁とほぼ同じと思っていい。日本語と違って、長年のスウェーデンの影響下で考え方はヨーロッパ化しているので、少なくとも文章単位で英語に訳して意味が分からないことはない。

    キオスクに入って、「オンコテイラ、プナイネンマールボロ(マルボロの赤箱ありますか)」とフィンランド語で訊いたことがある。店員は“黒い人”を見て総毛を逆立たせた。そして、「アイ・ドント・スピーク・イングリッシュ」と呻いた。私は「そのようですね」と言って、店を後にした。

    私が到着した1991年初頭には、好奇の目は浴びても脅威を感じることはなかった。しかし半年ほど過ぎた頃から、露骨な嫌がらせや暴力に晒されるようになった。ヘルシンキ中央駅近くの交差点を渡っている最中にいきなり雨傘で叩かれたことがある。叩いたのは老婆で、「パコライネン!」と私を罵った。駅の待合室やカフェ、長距離バスの中ではユオッポと呼ばれる酔っ払いが必ず絡んでくるので、旅行は苦痛以外の何物でもなくなった。

    今でもフィンランドに友人はいるし、美しい国ではある。そしてこの25年間にいろいろよい方向に変わっただろうとは思う。でも、二度と住みたいとは思わない。

    テーマ : 北欧
    ジャンル : 海外情報

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    シカ

    Author:シカ
    夫のカエルとともにヨーロッパに住むシカです。シカは日本生まれですが、ここ20数年イギリス、フィンランド、ノルウェー、スペイン、ドイツ、振り出しに戻る(イギリス)と流れてきました。カエルはフランス生まれです。詳しくは自己紹介ページへ。

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