バッハと七五三

    バッハのオルガン曲には派手で華やかな曲も多いが、より瞑想的な数々の作品では深く静謐な音色が延々と続く。音楽による祈りなのか、神が彼に語りかけた声なのか。ショパンのピアノ曲に生身の人間の情感が瑞々しくほとばしるのに比べても、バッハの音楽には人ではなく神の世界が映し出されている。

    バッハというおっさんは、べつに特別な霊性を備えたような人ではなかったらしい。気難しくケチくさく、芸術家というより職人として音楽を書いていた側面もあったと聞く。それなのになぜ、彼の音楽にはあれほどの魂が宿ったのだろう。

    バッハは20人の子をもうけ、うち10人が夭折した。最初の子と最後の子の生年は25年ほど離れているので、平均1.5年に一人生まれ3年に一度は子供の葬式を挙げていたことになる。回転寿司なみの稼働率である。バッハの生きた17〜18世紀には当たり前のことだった。このクリップで垣間見られるような、死への親しみとすら思えるもの‥‥命への諦観と死への憧憬‥‥は、このような死の身近さ・日常性から生み出されたのではないか。



    日本でも、乳児死亡率が10パーセントを切ったのは1950年頃のこと。1899年には生まれた子供の3人に一人が赤ちゃんのうちに死んでいた。成人することなく夭折した子供の率でいえばもっともっと高かった。親にとって子供はまさに天からの授かりものであり、いつ天に連れ戻されても文句は言えなかったのである。

    七五三というしきたりは、魂の世界からやってきた子供が三年・五年・七年と生き永らえ、徐々にこの世の人となっていく節目を祝うものだ。七歳に満たない幼児は、まだまだ片足をあの世に突っ込んだまま、いつ戻っていっても不思議のない“かみさま”だったのだ。

    バッハの瞑想はそんな現実に根ざしていた。現代の先進国にも、バッハと同等の音楽的才能に恵まれた人はいるだろう。しかし病や災害や戦争といった生存を脅かすものが、突然訪れるその日まではあたかも存在しないかのように隠されている環境では、バッハと同等の精神性をもつことは難しい。

    とどのつまりはポール・マッカートニーやエルトン・ジョンのようなことになる。ポールの子供に死ねとは言えない。逆パターンではデヴィッド・ボウイだろう。

    私の父もあらゆる意味でアホのような人だが、音感だけは優れている。趣味が悪いので妙ちきりんな楽器や曲を好むのだが、技術的にはたいして練習などしなくても器用にこなす。オルガンでも笛でも歌でも。音楽の才能と精神性はぜんぜん関係がない。たまたま両方併せもった人を、天才という。

    テーマ : 海外音楽
    ジャンル : 海外情報

    自分自身に塩味をつけている羊

    モンサンミッシェルあたりに、名産の羊肉がある。海水をたっぷり含んだ湿原の草を食べて育つので、肉自体に微かな塩味があり、調理時に塩がいらないという代物だ(実際にはいくらか加えないと味がぼやける)。それを夫から“self-salting sheep”と習って以来、私はそう呼んでいるが、ちゃんとしたフランス語の名前があるに違いない。

    羊が、人間に食べられる時のことを思ってせっせと自分自身に塩をしている姿を思い浮かべて、可笑しいやら可哀想やらで困ってしまう。

    ところで、日本人が必ず食べるスカスカのオムレツは、縁日のりんご飴みたいなもので、観光客目当てにやっているだけの店が多いそうだ。

    モンサンミッシェルといえば、イギリスの西南、コーンウォールに双子の片割れがある。その名も St Michael's Mount(Mont Saint-Michel の英語そのまま)。潮の具合で本土と繋がったり離れたりするのも同じ。姿もそっくりだ。
    st_michael_mount-2.jpg

    テーマ : 世界遺産
    ジャンル : 海外情報

    姑心

    ノルウェーで日本語を教え始めてすぐの頃、印象に残った生徒がいた。私はまだ教え方もなにも分かっていなくて、日本語文法(国文法とは捉え方がかなり違う)自体、教師用マニュアルと首っ引きで覚えたようなもの。練習台にされた彼らにはご愁傷様と言いたいぐらいだ。

    私はドリル的な文型練習や発音指導もやりはしたが、日本語表現の文化背景の説明にかなり時間を割いた。日本語の教え方としては邪道なのかもしれないが、生徒たちにとって初めて接する真の異文化だったので、とても興味をもってくれた。

    話す私を情熱的な青い目で注視する彼は、私の背後の日本を見つめているかのようだった。動詞の活用を暗記するより先に、日本語的な発想を身につけていった。彼が文部省の奨学金を得て東大に留学することが決まったとき、日本に行ったらこの目に釘付けにされる女の子がいっぱいいるだろうなと思った。超ド級のイケメンがゴロゴロいる北欧では美男の範疇に入らないが、目力があった。

    彼は東大で同じ建築学を学んでいた女性と結婚し、数年後ノルウェーに戻った。勤め人を経て今は自分の建築事務所を設立している。夫婦の間には男の子が二人。奥さんも建築家として働く、共稼ぎの子育て夫婦だ。彼は日本人としか思えないほど自然で流暢な日本語を書く。

    つい昨日。偶然、奥さんのブログに行き当たった。旅行やグルメなど、セレブ〜な生活ぶりが綴られている。会ったことはないが、FBで写真を見たことはある。背が高くスタイルのいい、顔は??な30代女性‥‥。あの彼を捕まえたのだから、幸せだろうな。

    こういうふうに奥さんのことをあれこれ思う自分にぎょっとした。これを姑根性というのね。自分が目をかけた男の子に、ふさわしいとかふさわしくないとか、どっから出てくるのというこの発想。いやー、人生びっくり箱。まさかこのアタクシにあるとは思わなかった俗な心の動きに出会うたび、目玉が飛び出しそうになる。

    テーマ : 北欧
    ジャンル : 海外情報

    矛先:男女の違い?

    この記事はブロとも、もしくはパスワードを知っている方のみ閲覧できます
    パスワード入力
    ブロとも申請

    血の繋がらない親子

    考え深そうに見えて何も考えていないところ、寝てばかりいるところ、なにかとネガティブなところ、神経質ですぐパニックになるところ、食べ物に目がないところ、食べ物とちょっとの撫で撫でで一瞬にしてさっきの大恐慌を忘れるところ。

    血が繋がっていないばかりか種まで違うのに、うちの猫と私はよく似ている。困ったことに。毛が黒くて吊り目なところも似ている。猫はヨーロピアン・ショートヘアで、私は髪の長い日本人なんだけどね。

    この猫をもらってきた時、あんまり注意深く選んだわけではなかった。いきなりシェルターに連れていかれて、特に調子がよくもなかった私は、トラ猫か黒猫で子猫ならどれでもいいや、ぐらいのノリだった。何匹か、可愛くて愛嬌のあるトラさんや黒さんがいたが、みんな成猫だった。唯一、黒で子猫だったのがこの子。それだけの理由で連れて帰った。

    だから名前も投げやりに“ネコ”。でも、育ててみたら私にそっくりになってしまった。幼少期に辛酸舐めたらしい点も、ようやく出会った飼い主(夫)にすごい依存する一方でエラソーに接する点までも、似てしまった。どういう因果か。
    プロフィール

    シカ

    Author:シカ
    夫のカエルとともにヨーロッパに住むシカです。シカは日本生まれですが、ここ20数年イギリス、フィンランド、ノルウェー、スペイン、ドイツ、振り出しに戻る(イギリス)と流れてきました。カエルはフランス生まれです。詳しくは自己紹介ページへ。

    引用・転載は原則として歓迎ですが、事前にご一報ください。どのような論旨・目的での引用・転載か、把握しておきたく存じます。

    最新記事
    最新コメント
    カレンダー
    プルダウン 降順 昇順 年別

    06月 | 2015年07月 | 08月
    - - - 1 2 3 4
    5 6 7 8 9 10 11
    12 13 14 15 16 17 18
    19 20 21 22 23 24 25
    26 27 28 29 30 31 -


    カテゴリ
    メールフォーム

    名前:
    メール:
    件名:
    本文:

    リンク
    フリーエリア
    ブロとも申請フォーム

    この人とブロともになる

    QRコード
    QR