食べ物、偏屈、原理主義
拒食症(14〜18歳)やら菜食主義(25〜35歳)やら、自分から食べ物を制限する性癖があった私。とことん自堕落な自分がイヤでイヤで、ヘンなところで帳尻を合わせようとしていたとしか思えない。いきおい栄養分の計算方法や身体に良い・悪いとされる食べ物に詳しくなった。しかしロクな食べ物がないノルウェーという土地で原住民もアッと驚くビンボーをするうちに主義主張はどこへやら、燃料なら何でも口にするようになった。
まあ、肉や脂っこいものが元々あまり好きじゃないし、化学調味料はなるべく使わない、自分で作れるもの(麺つゆ、ドレッシング、何々の素の類い)は作るぐらいのことは今でもしている。でもマクロビにはまったく関心がない。食養生も行き過ぎると宗教じみてくるから。
お釈迦様はどうだったのか知らないけど、イエスはけっこう酒飲みで大食いで女好きだったらしい。「何を着るか何を食べるか、身体のことで思い煩うな」と言ったのは、「着るな喰うな」じゃなくて「こだわるな」という意味だったと思えば私には都合がよい(そうやって、イエスの言ったことをどいつもこいつも自分の都合のよいように解釈してきた歴史が神学なのよね)。
夫の亡くなった前妻が癌を治したい一心でマクロビにはまっていた。自分で料理して食べたりマクロビ料理店へ行く分にはいいけど、そうじゃない普通の店でもあれ抜きこれ抜きと細かく注文し、その通りの料理が出てこないと怒るのには閉口したという。
それって改宗した一代目クリスチャンみたい、と私は思った。先祖代々キリスト教の環境に生まれると、形骸化(なまくら化)し相対化できすぎてしまって、やり方の違う人にいちいち口出さなくなる。あ、違うのね、でおしまい。でも、辛いことから逃れるためにキリスト教にすがった人は、改宗前の自分を嫌うあまりそれを非キリスト教徒に投影して、他罰的になる。マクロビに改宗した元B級グルメさんとそっくり。
ここで話がワープする。生まれも育ちも西欧のパキスタン人などで、社会的個人的にいろいろ難儀なことが重なって幻滅し、にわかにイスラム原理主義に走る者が少なくない。逆に、西欧白人で社会的‥(以下同文)、キリスト教原理主義(ペンテコステ派とか)に走る危険な born-again Christian も多い。ジョージ・ブッシュなんは典型だ。
虎の皮を借りた猫とかってフレーズがあったようななかったような。自分の不甲斐なさと社会悪、自律と他罰。児戯めきたるすり替えが行われる。どうでもいい大義名分で小さな自分をごまかす。ついでに「お前らみんな死ね」とか言ってみる。
14歳の私は、たぶんにそんな気持ちで食べるのをやめたのだが、幸いにして矛先が向かったのは私自身だった。
まあ、肉や脂っこいものが元々あまり好きじゃないし、化学調味料はなるべく使わない、自分で作れるもの(麺つゆ、ドレッシング、何々の素の類い)は作るぐらいのことは今でもしている。でもマクロビにはまったく関心がない。食養生も行き過ぎると宗教じみてくるから。
お釈迦様はどうだったのか知らないけど、イエスはけっこう酒飲みで大食いで女好きだったらしい。「何を着るか何を食べるか、身体のことで思い煩うな」と言ったのは、「着るな喰うな」じゃなくて「こだわるな」という意味だったと思えば私には都合がよい(そうやって、イエスの言ったことをどいつもこいつも自分の都合のよいように解釈してきた歴史が神学なのよね)。
夫の亡くなった前妻が癌を治したい一心でマクロビにはまっていた。自分で料理して食べたりマクロビ料理店へ行く分にはいいけど、そうじゃない普通の店でもあれ抜きこれ抜きと細かく注文し、その通りの料理が出てこないと怒るのには閉口したという。
それって改宗した一代目クリスチャンみたい、と私は思った。先祖代々キリスト教の環境に生まれると、形骸化(なまくら化)し相対化できすぎてしまって、やり方の違う人にいちいち口出さなくなる。あ、違うのね、でおしまい。でも、辛いことから逃れるためにキリスト教にすがった人は、改宗前の自分を嫌うあまりそれを非キリスト教徒に投影して、他罰的になる。マクロビに改宗した元B級グルメさんとそっくり。
ここで話がワープする。生まれも育ちも西欧のパキスタン人などで、社会的個人的にいろいろ難儀なことが重なって幻滅し、にわかにイスラム原理主義に走る者が少なくない。逆に、西欧白人で社会的‥(以下同文)、キリスト教原理主義(ペンテコステ派とか)に走る危険な born-again Christian も多い。ジョージ・ブッシュなんは典型だ。
虎の皮を借りた猫とかってフレーズがあったようななかったような。自分の不甲斐なさと社会悪、自律と他罰。児戯めきたるすり替えが行われる。どうでもいい大義名分で小さな自分をごまかす。ついでに「お前らみんな死ね」とか言ってみる。
14歳の私は、たぶんにそんな気持ちで食べるのをやめたのだが、幸いにして矛先が向かったのは私自身だった。