壊れはじめた心

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    北欧人のドタ入り(ドタキャンの逆)

    日本で働いているノルウェー人の元教え子が休暇でヨーロッパに来ているのは知っていた。昨日、私がたまたまFB上でノルウェー語で投稿したのを見て、「そういえば今ロンドンにお住まいなんですよね。遊びにいきたい!」とメッセージが。そのうち、の話だろうと「どうぞどうぞー」と返事したら、「明日か明後日からでいいですか」。

    いきなりなんだよね、君たちは。北欧人からこの手のドタ入りされたことは、一度や二度じゃないのだ。

    フィンランド人1:お宅に泊まっていいですか→お宅に1ヶ月泊まっていいですか→母も連れて行っていいですか→犬も連れて行っていいですか
    フィンランド人2:日本に行くので緊急連絡先にご両親の住所を教えてください→ある日突然 “今、東京駅にいます。今夜泊まるところがありません”と私の親に電話→1週間逗留→ある晩帰ってこない→翌日昼過ぎ、“今、北海道にいます。来週帰ります”と電話
    ノルウェー人1:二ヶ月先にロンドン行くよ〜→今夜中だけど、明日の朝着いていい?→来客中ゆえメール見てなかった私から返事がないので焦ってロンドン旅行キャンセル
    ノルウェー人2:今回

    もしかして、おまいら、田舎者? 知り合いの家は、突然戸を叩いても必ず誰かいて泊めてくれる場所なのかね。のどかで可愛らしいけれど、おまいらの生まれた北の山里以外の場所でやると、来る方も迎える方もビックリだよね。

    そんなわけで明日から数日間うちに猫アレルギーの美少年がいます。

    テーマ : 北欧
    ジャンル : 海外情報

    姑心

    ノルウェーで日本語を教え始めてすぐの頃、印象に残った生徒がいた。私はまだ教え方もなにも分かっていなくて、日本語文法(国文法とは捉え方がかなり違う)自体、教師用マニュアルと首っ引きで覚えたようなもの。練習台にされた彼らにはご愁傷様と言いたいぐらいだ。

    私はドリル的な文型練習や発音指導もやりはしたが、日本語表現の文化背景の説明にかなり時間を割いた。日本語の教え方としては邪道なのかもしれないが、生徒たちにとって初めて接する真の異文化だったので、とても興味をもってくれた。

    話す私を情熱的な青い目で注視する彼は、私の背後の日本を見つめているかのようだった。動詞の活用を暗記するより先に、日本語的な発想を身につけていった。彼が文部省の奨学金を得て東大に留学することが決まったとき、日本に行ったらこの目に釘付けにされる女の子がいっぱいいるだろうなと思った。超ド級のイケメンがゴロゴロいる北欧では美男の範疇に入らないが、目力があった。

    彼は東大で同じ建築学を学んでいた女性と結婚し、数年後ノルウェーに戻った。勤め人を経て今は自分の建築事務所を設立している。夫婦の間には男の子が二人。奥さんも建築家として働く、共稼ぎの子育て夫婦だ。彼は日本人としか思えないほど自然で流暢な日本語を書く。

    つい昨日。偶然、奥さんのブログに行き当たった。旅行やグルメなど、セレブ〜な生活ぶりが綴られている。会ったことはないが、FBで写真を見たことはある。背が高くスタイルのいい、顔は??な30代女性‥‥。あの彼を捕まえたのだから、幸せだろうな。

    こういうふうに奥さんのことをあれこれ思う自分にぎょっとした。これを姑根性というのね。自分が目をかけた男の子に、ふさわしいとかふさわしくないとか、どっから出てくるのというこの発想。いやー、人生びっくり箱。まさかこのアタクシにあるとは思わなかった俗な心の動きに出会うたび、目玉が飛び出しそうになる。

    テーマ : 北欧
    ジャンル : 海外情報

    隅々にまで人の手が入った英国

    面積の限られた島国で人口密度がわりあい高く、古くから文明の発達した英国では、どんな片田舎の隅っこに行っても、人の気配が感じられる。砂利道であったり朽ちかけた門であったり、ちょっとした薔薇の茂みであったり。いつか誰かが手をかけた名残りがある。ちまちまと、愛らしい。

    日本もそうだ。変化に富む自然に恵まれた日本ではあるけれど、いかんせん狭いので、人類未踏の地はほとんど残っていないのではと思う。人間にとってかなり不便な条件を備えた土地でも、その風土となんとか折り合いをつけようとしてきた日本人の足跡が残っている。

    ノルウェーで感じた荒涼とは、人の気配の欠如なのだと思う。フィヨルド、氷河、氷点下30℃の湖と原野。誰一人踏み入ったことのない、神が造ったまま手つかずの自然。それは息を呑む美しさなのだけど、ものすごく居心地が悪くもある。人は、そこに居るべきではないのだ。ムンクの絵は狂気でもなんでもなく、見たままの風景だ。映像で、百歩譲って観光で数日間見るぶんには素晴らしい情景だが、住んではいけない。じゃないと鬱病になる。私のように。

    テーマ : ヨーロッパ
    ジャンル : 海外情報

    戦友(RIP)

    イヴォンヌが昨年クリスマス直前に亡くなっていたことを今日知った。

    トロンハイムのメソジスト教会で知り合いだった、トーゴ(西アフリカ)人の女性だ。イヴォンヌと私は“パラレル移民”だった。同年齢で、ノルウェーに移住したのも同じ1995年。市運営のノルウェー語クラスでも一時期同級だった。

    でっぷりしたアフリカン・ママという感じの人だった。初めて会った33歳の時、40代に見えた。最後に会った時も40代に見えた。同い年だから52歳で亡くなったわけだが、外見はおそらく40代のままだったろう。

    教会で私は奏楽を、彼女は掃除をしていた。背景も体躯も肌の色も職能も対照的な二人だったが、教会員のある人々にとって、私たちは同じ“生活に逼迫して小銭稼ぎをしている移民”だった。私のオルガニスト契約をめぐる交渉が炎上した時、彼らは「あなたはイヴォンヌとどこが違うのか。なぜ特別待遇を望むのか」と言った。結局、私のそれまでの待遇は違法であり教会は正規雇用を義務付けられたのだが、どこがどう違法なのかを私が自力で調べ上げて論破するまでの間、あの人たちの鼻息は荒かった。クリスチャンの奉仕精神にかこつけて。

    そんな時、イヴォンヌは鼻歌を歌いながら汚いモップを動かしていた。アフリカと北欧では掃除の観念が違うらしく、時々彼女にモップを洗うことを“指導”している人がいた。

    イヴォンヌは若くして結婚し3児をもうけたが、夫はトーゴでクーデターが起きた1992年にノルウェーに亡命した。イヴォンヌは3年後、ノルウェー定住者の家族という資格で子供を連れ移民してきた。一見至れり尽せりのノルウェーの難民政策にはじめは喜んで頑張っていた夫は、次第に幻滅し自暴自棄になっていった。

    私が前夫を離れた2000年、イヴォンヌも離婚した。同じ頃、なんと福祉事務所で出くわしたこともある。二人とも、生活保護を申請しに来ていた。もっとも彼女は初めてではなさそうだった。その後イヴォンヌは猫の額ほどの店舗を借りてアフリカ料理店を開き、私は大学で日本語を教える仕事にありついた。

    彼女の店は長続きしなかったが、なんとかやりくりしているようだった。教会でも笑顔が増え、彼女とまともな話ができる人は少ないものの、洗練には程遠い腹ごたえのある料理を振舞ったり、熱烈なダンスを披露したりで人気者になっていった。私はといえば、親しい友は何人かできたが誰にも好かれるというタイプではなく、来る週も来る週も黙々とバッハを弾いていた。
    yvonne.jpg   Michan.jpg

    読み書きもできずフランス語話者の彼女には、ノルウェー語習得は急を要したが難儀を極めた。ノルウェーでは英語がよく通じるがフランス語のできる人は少ない。逆に、英語話者の私はそのままで事足りてしまうため、ノルウェー語習得に差し迫った必要を感じなかった。そんなわけで二人のノルウェー語力はどんぐりの背比べに終わった。

    私がフランス人と出会ってノルウェーを去る時、イヴォンヌはやはり鼻歌を歌いながら挨拶のハグをした。同じ苦労をしたね、お互い幸せになろうねというような、わけ知り顔の微笑みを浮かべていた。

    太っていたから、心臓に負担がかかっていたんだろう。何の前触れもなく、初孫が生まれ、ノルウェー国籍を取得した矢先の死だった。

    テーマ : ヨーロッパ
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    死が旅立ちなら、旅立ちは死か

    ノルウェー、トロンハイムのカトリック教会では、司祭の一人がフィリピン人だった。その人が来てすぐ、超教派の集まりでの挨拶の言葉:「ノルウェー赴任は、わくわくすると同時に、とても悲しかったのです。生まれ育った土地、慣れ親しんだすべて。別れに涙する友達や家族。飛行機に乗るとき、なんだか小さな死のような感じがしました」。

    当時はインターネット台頭期、メールもスカイプもまだ普及していなかった。海外渡航ということが、今よりずっと劇的な別れを意味した。私も、会いに来てくれた母をオスロの空港で見送る時、悲しくて悲しくて、帰ってしまうぐらいなら来てくれなくていいと思った。私が里帰りの後ノルウェーに帰るたび、母も同じ思いをしていた。インターネットがある今でも、本質的には同じ別れがあると思う。

    本当の死が旅立ちなのか無なのか私には分からないけれど、往く人と送る人の気持ちは、空港の“ここから先は搭乗者のみ”と書かれたバリアの両側に立つ気持ちに似ていると思う。外国に住むと、この小さな死を繰り返し恒常的に経験することになる。その経験が“外国人”を生業とする私たちの人格にどんな影響を及ぼしているのか‥‥怖くて開けられないパンドラの匣なり。

    因みに:
    私の知る限り、宣教師という商売はプロテスタント教会では1970年代から激減し、聖職者のほとんどが現地人になった。少なくとも日本では。しかしカトリックでは健在のようで、特に日本のような非キリスト教国や、北欧のようにプロテスタントが国教でカトリックが少数派の国では、今でもカトリック聖職者といえば外国人だったりする。ノルウェーではカトリック信者の大多数がベトナム系ノルウェー人と出稼ぎフィリピン人で、タガログ語を話すフィリピン人司祭が来る必然があった。

    テーマ : ヨーロッパ
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    プロフィール

    シカ

    Author:シカ
    夫のカエルとともにヨーロッパに住むシカです。シカは日本生まれですが、ここ20数年イギリス、フィンランド、ノルウェー、スペイン、ドイツ、振り出しに戻る(イギリス)と流れてきました。カエルはフランス生まれです。詳しくは自己紹介ページへ。

    引用・転載は原則として歓迎ですが、事前にご一報ください。どのような論旨・目的での引用・転載か、把握しておきたく存じます。

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