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    すべてを忍び、すべてを信じ

    自分で自分の記事をリブログって恥ずかしいんですけど、ふと思ったので。

    「フランス女が目指すのは、官能的、性的、優美で成熟した女。女王と言っていいだろう。日本女が目指すのは、あどけなく、弱く、無防備で無垢で低脳な幼女。王女と言うにも幼すぎるだろう。

    そこで終わればまだいいのだが、日本の内股な“幼女”は同時に、すべてを包み込み耐え忍び養い続ける“太母”でなければならない。フランス女のように“女”一辺倒でいるのもご苦労な話だが、それどころの難易度ではない。」

    すべてを包み込み耐え忍び養い続ける“太母”って‥‥いわゆる愛じゃないですか。聖書で言うところの。「愛はすべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える」(コリント人への手紙13章)。こういう愛は、女に、あるいは母性にだけ求められるものなのか。あらゆる生き物に内在しているものなのか。

    そんな無茶な。私に限って言えば、そんな高尚な愛は持ち合わせていません。猫に対して以外は。

    日本女には無理難題に近い愛がまるで前提条件みたいに要求される一方、フランス女には、愛される資質だけが求められ、愛する能力・努力は不問なのか。

    夫の母(故人)について聞く限りは、また私が出会ったフランス女性の印象としては、そんな感じがするけれど。

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    "I Vow to Thee My Country"

    小林麻央さんの結婚披露宴で花嫁の希望で歌手が歌ったという『ジュピター』。

    私は以前日本へ行った時、この曲に日本語の歌詞をつけて女性歌手が甘ったるく歌っているのを耳にして悪寒がした。

    原曲はもちろんホルストの組曲『惑星』中の“木星”。ホルストの母国イギリスではこれにセシル・ライスの詩をのせた "I Vow to Thee My Country" という讃美歌が準国歌といっていいほど親しまれている。

    ダイアナ妃が自らの結婚式に選曲し、彼女の葬儀でも故人愛唱歌として歌われた。息子のウィリアム王子も結婚式でこの曲を選んだ。そうした重要な儀式にふさわしい重厚で厳粛な曲だ。

    さて一問。 "I Vow to Thee My Country" の Thee とは神なのか、国家なのか。Thee が大文字で始まるかどうか、その後にカンマをつけるかどうかで意味が変わってくる。「祖国も、地上のすべてもわが愛も、あなた(神)に捧げる」のか「わが祖国よ、地上のすべてもわが愛もあなたに捧げる」のか。

    どうやら後者の解釈をとる人が多いらしく、この讃美歌は極右の愛国歌のようにも使われてしまっている。

    私はどうも、どっちの解釈も間違いではないけど、第二節の歌詞から考えるに、作詞者が意図したのは地上の祖国への愛と天上の祖国(神)への献身を結びつけることだったのじゃないかと思う。

    そんなわけで、パイプオルガンと会衆の斉唱でこの曲に慣れていた私は、日本の女性歌手が喉から出した甲高く弱い声で独唱するのに怖気をふるってしまったのだった。ち、違う。ちがう〜。どう違うって、般若心経をNYの黒人グループがズボン尻まで下げてラップでやってる感じ? そりゃあ音楽は人それぞれ好きなように演奏すりゃいいのだけど、同時にそれぞれ生理的にイヤなのもあるってことで。

    子が親を看るということ(日本)

    滞日中、両親がお世話になっているケアマネジャー、医師、金融関係の担当者と面談する機会があった。

    どれも親の用事で、私は来ているついでに話を聞いておこうと思って同席したに過ぎなかったのだが、三人が三人、本人である母または父よりも私の方を向いて話をなさった。

    父は後で「年寄りは耳か頭が悪いから、子供さんにしっかり聞いといてもらおうってことだろうね」と、冗談とも本気ともつかない薄笑いを浮かべた。

    まあ親のことは本人が動けない時動ける私と兄も把握しておくべきで、同席は有用だと思う。でも、医療にしろお金のことにしろ決めるのは本人なので、「ご家族が同席されないと大事な話はできません」(実際、医者がそう言った)では、ご家族のいない老人はどうしろと?

    子が親を看て当然、という考え方が日本には歴然と残っているのを実感した。それが親から個の尊厳を奪ってもいる。

    薄笑いのまま晩酌に余念がない父に、ふと「そういえばさ、パパもママも親の介護なんてしなかったよね」と問いかけた。「しなかったよ。全然しなかった」。実際、両親がそれぞれの親に最後に会ったのは亡くなる数ヶ月〜数年前だった。二人とも長子ではなかったし、母は親きょうだいから遠く離れて住んでいた。父は同じ東京にいたのに滅多に見舞いにすら行かなかったが、きょうだいが大勢いた親世代では、珍しいことではなかっただろう。貧乏くじを引いた長男妻さんたちにはお詫びのしようもないけれど。

    世代が下って私の年代になると子供は二人が平均だ。実両親か義両親の介護のお鉢がほぼ確実に回ってくる。その子供の世代となると、もう無理なのが目に見えているから、政府は制度作りを急いでいるわけだが、間に合うかどうか。

    子供もいないし日本にもいない私の老後には起こりえない問題なのが、有難いようなものだ。

    世界旅行

    9月下旬に出発しておよそ6週間、今まで行ったことのなかった土地を歴訪した。

    まずアメリカ。仕事で駆け足で巡ったことはあったけど、興味と関心をもって訪ねたのは初めて。ニューヨークで夫の友人宅に泊まり、東京の出版社での同僚や上司と20年ぶりの再開も果たした。次にサンフランシスコでは夫の息子夫婦と過ごし、前夫の弟とも旧交を温めた。

    その後オーストラリアのメルボルン経由でニュージーランドへ。ウェリントンからマールボロのワイン産地で酔っ払った後、南島のクイーンズタウンという夢のような街を訪れた。

    震災の痕を残したままのクライストチャーチを経由して、東京に1週間滞在した。ちょこっとだけ、伊勢神宮へも行ってきた。夫を連れて日本中ほぼくまなく旅行したけど、東海地方は私もほとんど行ったことがなかったので。

    東京からハノイへ。面白いことや面食らったことがたくさんあったのだけど、書くことが多すぎて書く気力がない。まだまだ貧しいけれど若さと将来への希望に溢れた国、とんでもなく美しい国土と耐え難い気候。冗談が通じているのかいないのか、軍隊的なまでに一生懸命なもてなし、かと思えば時折顔をのぞかせる疲れ切った投げやりさ‥‥。

    最後にシンガポールに寄って、11月初旬にロンドンへ戻ってきた。猫が待ちわびていたことは言うまでもない。

    メシウマの国

    「BBCでサンセバスティアンのことやってるよ!」と夫の嬉しそうな声。美食の地として絶賛発売中のスペインバスク地方の紀行番組だった。地酒チャコリ(二日酔い必至)、ハモンイベリコ(蝋状に酸化した脂が醍醐味だとか)、オリーブ油の池に浮かぶ数々の食材‥‥。

    バスク料理は日本料理に似て、あまり香辛料を使わず手もかけすぎず、素材の持ち味を生かすのだそうだ。要するに、すべて“にんにくあぶら風味”である。私もはじめの頃は物珍しくて何でも美味しく感じたが、胃が受け付けなくなるのにひと月かからなかった。サンセバスティアンにおける問題は、バスク料理が不味いことではない(どっちかというと美味しい)。バスク料理しかないことである。

    およそメシウマとされる国々は、中国でもイタリアでもフランスでも、そういうものかもしれない。自国の食べ物が美味しいのにわざわざ他の料理を試そうとは思わないのだろう。イギリスのようなメシマズ国では、自覚と反省に立った謙虚な姿勢で外国料理を無節操に受け入れ、おかげでロンドンはヨーロッパ有数のメシウマ街になっている。イギリス料理さえ避ければ。

    その点日本(特に東京)は特殊で、日本料理も国際級に美味しいとされる一方で、ナンチャッテではあっても世界各国の料理が普及している。そういう変わった食文化で育った私は、サンセバスティアンでしばらく過ごすと、たまには美味しいパスタでも食べたいなとか、タイ料理とかないかしらとか、思っちゃうのだった。

    外国にいると、和食が夢にまで出てくるほど恋しくなる時があるものだが、日本へ行って1週間もすると飽きてくる。天ぷら、うどん・そば、居酒屋、廻る寿司、カレー、ラーメン、丼。家畜クラスで旅する私の身分で手が届く範囲では、何でもかんでも醤油と味醂の味つけで、「こんなもんだっけね」という感じ。あげくスーパーで真面目なバンとチーズが手に入らないことを嘆くダメな在外邦人になってしまう。そんな時は、和食以外の選択肢があることが素直に有り難い。

    夫は私が目先の変わった料理をいろいろ作るのを喜んで食べてくれるが、結局“にんにくあぶら風味”が一番落ち着くようなので、それも三日に一度は出すようにしている。人間の味覚の幅は、育ったようにしかならないものだ。

    脱亜入欧ノイローゼ

    まずはこのクリップをご覧あれ。

    愛読しているブログにパリ症候群のことが書いてあったのでふと思った。そういえば、夏目漱石も留学先で鬱状態になり帰国を余儀なくされた‥‥パリならぬロンドン症候群だった。脱亜入欧ということが皮肉でも自虐でもなく叫ばれていた時代のこと、国費留学で頓挫した自滅感の重さは気の毒なばかりだ。しかし自滅感そのものは現代のアラサー“女子”も同じだろう。当人が自滅感より自分を踊らせた日本のマスコミへの他罰感をもつとしたら、同情しにくいけど。

    遠藤周作はリヨンで欧州白人社会に拒絶された痛みを通奏低音に独自の日本的キリスト教を論じた。森有正は、一旦は日本に戻りながら、けっきょく「遠ざかるノートルダム」と呟きつつパリで客死した。こういう真面目な日本人が、成熟を通り越して腐臭を放つヨーロッパにそれでも惹きつけられ爆死していく姿は、イカロスというか蜂の武藏のようだ。

    パリ症候群女子たちは30歳前後。日本で幻滅するに足る期間ハケンや会社勤めをして、“自分探し”にやって来る。消費生活面ではヨーロッパを凌駕してしまった日本から、形のない夢を求めて渡欧し、わりと簡単に夢破れて日本へ帰っていく。ある者は妙に和風に目覚め、ある者は僅かな体験を元に『住んでみた○○国』などしたため、ある者はひっそり日本男性との婚活に勤しむ。日本のマスコミの見てきたような嘘に踊らされた結果としたら、愚か‥‥ではある。

    私は日本の出版社で働いていた頃、どっかの馬の骨が締め切り前にぶっこむべく書き散らす駄文が、ただ活字媒体で拡散されているからという理由で魔法の説得力を獲得していく様を発信側から見ていた。受信側に、自分で情報を咀嚼する習慣がないのはやっぱり愚か‥‥だと思う。

    自分をエラい人と同列に並べるつもりは毛頭ないけど、渡欧の必然性という点で私など真面目な部類に入る。パリ症候群なんて立派な病気に至らなくても、居住国との折り合いは人間関係に似て、出会い〜憧憬〜恋〜結婚(移住)〜驚愕〜幻滅〜日常化〜諦観〜受容〜安定といった過程を辿る。過程のどこかで中断する場合も、もちろんある。私はドイツを好きになれないし、ノルウェーからも受容の一歩手前で退散した前科がある。でもヨーロッパという大枠では受容〜安定の段階にいる。たぶん、ブツブツ文句垂れながらもここで死ぬのだろうと諦め覚悟している。

    遠藤周作の対極かもしれないが、私は岸恵子のエッセイも好きだ。フランス人に見初められ結婚し、移住し、夫に捨てられ死なれ、日本に拠点を戻した一女性。彼女の見たこと、思ったことが、痛ましいほど正直で等身大の言葉で綴られている。

    テーマ : 海外にて日本を考える
    ジャンル : 海外情報

    プロフィール

    シカ

    Author:シカ
    夫のカエルとともにヨーロッパに住むシカです。シカは日本生まれですが、ここ20数年イギリス、フィンランド、ノルウェー、スペイン、ドイツ、振り出しに戻る(イギリス)と流れてきました。カエルはフランス生まれです。詳しくは自己紹介ページへ。

    引用・転載は原則として歓迎ですが、事前にご一報ください。どのような論旨・目的での引用・転載か、把握しておきたく存じます。

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