ロンドンブリッジ

    テロなんて、今じゃ普通の出来事になっちゃって。息を止めて生活するわけにいかないし、生活を一時停止にもできないから、3日も経つと世の中は何事もなかったかのように動き始める。

    地震みたいなもの。でも地震ほどの破壊の痕も残らない‥‥。って、違うんだけどね。本質的に。地震で原子力発電所が壊れ将来的に累計犠牲者数がテロをはるかに上回る場合を考える。そもそも原子力発電所をやってた輩の責任はどーよってなるけど、ワザワザ、数十万人殺めようと思ってやってたわけでもないんだよね。お金欲しかっただけで。

    その点、テロは戦争と同じで、殺すことそのものが目的なので、本当は同じじゃないのだ。

    テロを誘引したのが「お金欲しかっただけ」で他国を蹂躙し続けた西側先進国のエゴであることは、今日のところは考えないことにして。

    ロンドンブリッジはうちの最寄りターミナル駅だし、バラーマーケットにはたまに行くので、「いつもの」「普通の」テロよりもっと悲しくなった。テロの翌朝、夫はロンドンブリッジ駅乗り換えで空港へ行き中国出張に出かけて行った。

    サンセバスティアンに行ってきました

    久々にサンセバスティアンに行ってきた。スペイン最北東部バスク地方、フランス国境まで車で20分。美食で知られる小綺麗な街だ。日本でもこの頃知名度が上がってきたようで、視察に訪れた食のプロとおぼしき日本人もちらほら見かける。

    今回はロンドンの友達を連れての週末旅行。ヘロヘロに疲れるまで食べて飲んで笑ってきた。

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    林檎酒を注いでもらったんだけど…
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    ほとんど入ってない
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    気を取り直してみんなにも注いであげる
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    ご褒美にごはんを食べる
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    そして記念撮影。

    ミッツィ

    子を産めなかったことで自己憐憫に浸っていて、ふと思い出した。日頃親しくつきあっている友達のうち、3組5人が子なしだ。オージーとフィリピーナのロブ&ジェヴィ、リバプール出身のミッツィ、そしてオージー夫妻のクリス&ジュリー。

    ミッツィは、40代後半のギリシャ系イギリス人。アイルランドの血も入っているので、小柄で黒髪だが肌が白く緑色の目をしている。ものすごく明晰で独立心が強くて、でもどこか破綻していて、魅力的な女性だ。エイズ予防専門の社会科学者で大学で教鞭をとる傍ら、南アフリカで実地活動をしたりの研究を続けている。

    リバプールの下町で移民でシングルマザーのお母さんに育てられた。ミッツィは実は30代まではウェイトレスだの事務員だの、どうでもいい生き方をしていた。ある日いきなりアホくさくなって、「私って頭いいんだしと思って」大学に入り、進路をガラッと変えたそうだ。

    今でも、政治や社会を酒の肴に、鋭い舌鋒の合間にスカウズ(リバプール訛り)のお下品なフレーズが飛び出す。私が男だったら惚れていたに違いないそんな彼女がなぜ独身なのか、訊きたいのは山々だが躊躇している。ただ、彼女が仕事帰りに何かの用事でちらっと寄った時なんかに「よかったらワインでもどう? ごはんも、ちょうど作ってたから食べていく?」と声をかけると、喜んで入ってきてくれる。飲みっぷりは私と負けず劣らず、やっぱりちょっとは寂しいのかなと思う。

    独立を何より尊ぶ彼女は、うちと同じ宅地の綺麗な中庭つきフラットを買って一人で住んでいる。時々友達が泊まりに来たりはしているが、誰とも一緒に暮らす気はないと言う。今は近くに住んでいるお母さんが唯一無二の親友で、休暇には一人で世界中の秘境を歩き回っている。学者とはいえフリーランスの立場は決して安定したものではなくて、仕事の狭間にはうちでワイングラスを傾けつつ心配顔を見せることもある。

    だけどエイズ関連での彼女の業績は、はっきり言って人類の幸せに大きく関わること。彼女と知り合えて心から喜んでいる人は私だけでなく、ずいぶん大勢いると思う。子供を産まない女性には生きる資格がないとどこかの政治家が言ったからって、ミッツィの価値が一ミリも減りはしない。‥‥私についても同じくとは言い難いのがツラいところだ。

    お姉ちゃんのまま老いる私

    夫が息子夫妻とスカイプで長話をしていると思ったら、ニコニコと頬を紅潮させて食卓についた。10月に、息子夫妻に赤ちゃんが生まれるのだ。

    10月は夫婦で日本へ行く予定だったが、予定変更して赤ちゃんの顔を見にカリフォルニアへ行こうかなと言う。よかったねと言いながら私は複雑な気持ちになる。夫はおじいちゃんになる。私はお姉ちゃんのまま。

    これから先、夫婦二人だけで年老いていくのだと思っていた。互いだけを頼りに、互いだけを思って。‥‥んなわけ、なかったじゃないか。夫には息子がいる。そして孫が生まれる。そうやって彼の命は繋がれていく。愛おしいものを遺していくのだ、この人は。この世に存在した意味も証拠も残らない私とは違う。

    やがて生まれた幼子を連れて息子夫妻が我が家に滞在する日も来るだろう。子供という生き物の取り扱い方を知らない私は、戸惑い呆れられ疲れるだろう。そんな先のことまで頭に浮かんで、食事中、私は黙り込んでしまった。

    夫にとってこれ以上ない喜ばしい報せを一緒に喜べない自分のケチさにも気が滅入る。仕方なく、夫に白状した。「あなたには、おめでとうって心から思うんだよ。でも私が嬉しいわけじゃないんだ。ごめんね」。

    夫の顔が曇るかと覚悟していたのだが、そんなことはなかった。「ああ、もちろんそれは分かるよ。僕だって、自分が浮かれてるわけじゃなくて、息子におめでとうって気持ちの方が強いよ」。

    夫は本当に優しい。お姉ちゃんのまま歳を重ねるしかない私の未熟さも痛みも、わからなくてもそのまま受け止めてくれる。同じ気持ちにはなれなくても、一緒に歩いてはいけそうだ。

    説明に窮する日本

    クリスマスをヨーロッパ人の夫の親族とじゃなく夫婦二人きりで過ごしたいとか(日本語で家クリというらしい。ケンタッキーフライドチキンを買ってきて食べるのだろうか)、日本の会社を辞めてヨーロッパの田舎へ嫁入りする自分へのご褒美にエルメスのバッグを買いたいとか。

    ヨーロッパ人から「なんで?」と真っ白な問いを投げかけられる度に、一応は生まれ育った国なのだから擁護せねばという気が起きて、苦しい説明を試みる。日本人は神仏混淆でアニミストなので、どこの誰の宗教だろうとお祭りごとはいただいとくのだ。中国人やインド人と同じく成金だからブランド大好きな上に、「形から入る」流儀があるので、内実伴ってなくても気にしないのだ。

    西から昇ったお日様が東に沈む、それでいいのだ。んなわけ、ないでしょ。

    本当に変わった人たち。ボジョレーヌボーというおフランスの安酒に、お洒落ですと言われれば、蘊蓄垂れて群がってみる。外国の宗教の祝日をパパママや恋人と祝う食卓には、米国南部式揚げ鷄(西洋では下層賎民の餌)が欠かせない。2LDKの汚屋敷に家族4人で住んでてもブランド品持って出かける。真冬のヨーロッパで、短い脚にミニスカートとエルメスのバッグという夜の職業の制服に近い姿で内股チョボチョボ闊歩しちゃう。女子力高いし。

    「楽しければいいじゃん。日本の外でなんと思われようが関係ない」。ここで挙げてるようなことは、まあ、勝手にすればの範疇だが、それじゃ済まないことが結構ある。この世界で生き延びる気があるなら、そこに気がついてほしい。生き延びる気があるなら、ね。

    頭を抱えつつ、私は身の丈にあった(袖丈は足りない)ユニクロを着てチリのワインを飲んでいる。おフランスのカエル一族は老父母が亡くなって最初のノエル。今回は大西洋岸から場所を変えて、きょうだいや甥姪が何家族か住んでいる南仏モンペリエに集まった。たくさんの料理は、生牡蠣以外は全部、美味しくも不味くもないが家族が手分けして手作りしていた。私は例年通り、フランス語機能のないシャンパン消費マシーンとして、いっしょうけんめい笑いを取ってきた。

    Full circle - エジンバラ

    31年ぶりに、エジンバラを訪れた。

    エジンバラは、1985年の7月、私が語学留学生としてヨーロッパでのおぼつかない第一歩を踏み出した街。成田からモスクワ乗り換えでヒースロー、地下鉄でキングスクロス駅、そして夜行列車で一晩かけて辿りついたエジンバラは、変な匂いと音と色に包まれていた。ダミ声で鳴き続けるオス猫のようなバグパイプと、やっぱりオス猫のオシッコ的なピートの匂い。肌寒い7月の空を背景に、真っ黒に煤けた石造りの建物が聳える。スーツケースを引きずって寮への坂を登る私には、なんだこれはと思う気力も残っていなかった。

    Mylnes Court

    これがその寮。エジンバラ城のまっ隣にある古い古い建物で、普段はエジンバラ大学の寮だ。あの頃の英国語学留学といえば、長期の場合ホームステイ(というか下宿)だがサマーコースは観光や遊びを兼ねた企画で、ちょうど休み期間で空いている大学寮を借り切って合宿の楽しみも提供していた。寮にいたのは、ヨーロッパと中東から英語の練習に来る高校生〜大学生ぐらいの若者たちと、世界各国で教えていて夏だけ帰省と息抜きを兼ねて短期バイトに来る英国人教師たち。日本人の語学留学ブームはまだ始まる直前で、私はけっこう珍しい存在だった。

    ほとんど喋れなかった私は最初のクラス分けで中下級に入れられた。クラスメイトは中東人、スペイン人、イタリア人で、何も理解していないし言う内容もないのに大声で存在を主張していた。担任は年配のスコットランド紳士イアンで、最初の金曜日のレッスン後に私を階段でつかまえ、パブに誘ってくれた。彼は私を寮から Royal Mile(城と宮殿を結ぶ表参道)を跨いで階段を降りた所にある、昔は処刑場だった広場に連れて行った。Grassmarket。何軒ものパブにぐるっと囲まれている。

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    その晩、イアンが同時に受け持っていた中上級の学生たち(ドイツ人、オランダ人、北欧人)は好奇心からいろいろ話しかけてくれた。自信のない私は、紙ナプキンやコースターに走り書きで受け答え。イアンはそのコースターをつまみ上げて音読し、「きみは話の内容をよく解っているし、難しいアイディアも表現できる。書いたことを声に出して言ってごらん。ここにいるみんなより上手なんだから」と微笑んだ。「月曜日から、中上級に来なさい」。

    中上級には、一人だけスペイン人が混じっていた。スペイン人にしちゃ高度な英語を話す彼は生物学者で、秋からアメリカでポスドクをするので英語に磨きをかけに来ていたのだ。優しくてハンサムで頭のいいマヌエルに私は一目惚れした。少し年上の彼は、英会話ばかりか社交も拙い私を妹のように構ってくれたが、異性としては興味ゼロのようだった。マヌエルのルームメイトはスイス人のアランで、ある晩マヌエルと一緒にRoyal Mileのパブをはしごでイアンにウィスキー指南を受けていた時に紹介された。

    Royal Mile

    ちなみに私は、他人と一緒の部屋で寝起きする図太さがなかったので、差額を払って一人部屋にいた。慣れない夜遊びで疲れて寝坊した翌朝、ベッドのあるロフト部分から勉強部屋に転げ落ちた。シャワーを浴びようと廊下へ出ようとしたら、ドアの下に手紙が押し込まれていた。うにゃ? なんかの苦情? ドアを開けると、薔薇の花束。花屋の綺麗な花束じゃなくて、いかにもどっかの庭から失敬してきたのを輪ゴムでとめたやつ。

    こうして私の初恋は始まったのだった。ヴァイオリン、お願いします。三味線じゃないってば。

    (続く)

    テーマ : イギリス
    ジャンル : 海外情報

    プロフィール

    シカ

    Author:シカ
    夫のカエルとともにヨーロッパに住むシカです。シカは日本生まれですが、ここ20数年イギリス、フィンランド、ノルウェー、スペイン、ドイツ、振り出しに戻る(イギリス)と流れてきました。カエルはフランス生まれです。詳しくは自己紹介ページへ。

    引用・転載は原則として歓迎ですが、事前にご一報ください。どのような論旨・目的での引用・転載か、把握しておきたく存じます。

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