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    母の愛

    流行りの漫画『夜回り猫』で、「もし来世があるなら、次は誰と結婚したい?」というような娘の問いに母が「やっぱりお父さんと結婚する」と答える場面がある。ええっ、なんでと驚く娘に母は「そうすればあなたに会えるから」と。

    これと全く同じやり取りを、私は母としたことがある。「パパと結婚したおかげでみっちゃんに会えたから、後悔はしていない」と。

    冷たい雨の降る月曜の朝、7時半に電話が鳴った。夫は出張中。まだ眠っていた私は留守電が流れるのをそのままにしていたら、変な音がするだけで切れてしまった。それが2回続いて、いよいろ何だろうと起き上がったところでドアベルが鳴った。

    血の気を失くしたミッツィが立っていた。出勤前だったのだろう、お化粧して赤い口紅に長い黒髪が雨に濡れて、触ったら壊れそう。「ミチ(私の名前)、ママが倒れたの!」。背後を見たら、ロブが立っていた(ロブ&ジェヴィとミッツィは同じ建物に住んでいる)。我に返った私は「車? わかった、今キー渡すから」と言って慌てた。夫がいつも置いている位置にキーがない。何のこっちゃ、玄関の靴箱の上にあったのだが、見つけるのに1分かかったろうか。15分にも思えた。ロブにキーを渡した時、ミッツィの姿はなかった。「あの状態で運転できるかな」とロブ。「そうだよね。あなた運転できる?」「うん。でも‥‥」。

    夫の車は、夫本人のほかにミッツィも運転者として保険に入っている。私たちが長く留守にするときにバッテリーが上がらないよう時々使ってもらうべく、以前からそうしてあるのだ。でもロブには保険をかけていない。イギリスでは、無保険のドライバーによる事故が多くて、取り締まりがとても厳しいのだ。

    「あなた保険かかってないんだよね」「そうなんだ」「いいから、とにかく注意深く運転して」。ロブは頷いてミッツィを病院に連れていった。

    10時半ごろ、ロブとジェヴィが帰ってきた。「間に合わなかった」。病院までは距離にすれば少しなのに朝の渋滞で時間がかかり、8時半に着いたときにはお母さんは既に亡くなっていたという。お母さんは60代、一見なんの病気もなかった。通勤途上のバス停で倒れ、一緒にいたお母さんの夫(ミッツィの継父)ロンと救急車で運ばれたらしい。

    ミッツィは病院に残り、そのままロンと一緒にお母さんの家に帰った。ロブ&ジェヴィも私も、最愛の人を亡くした者同士が一緒にいるのはひとまず安心と思った。

    それっきり、ミッツィは自宅に戻っていない。毎日お母さんの遺体に会いに病院に行くにはロンの家からの方が近いので、と。月曜の朝に亡くなって木曜日の今日、やっと死亡届を出し葬儀屋を探し始めたという。日本では亡くなって割とすぐに遺体は遺族もしくは葬儀屋が引き取ることになっているので、イギリスの病院ではそんなに何日も保存してくれるとは意外だった。

    ミッツィとお母さんの関係は特殊だった。アイルランド人のお父さんが最低な人だったのと、リバプールというマッチョで乱暴な土地柄も相まって、ギリシャ移民の肝っ玉母さんと聡明な娘は、一卵性母子としか言いようがない密接な絆で結ばれていた。50歳近くにもなってママが唯一無二の親友だなんて不健康、とも言える。でも私にはよく分かる。

    もともと頭の程度と波長が合う母娘が、最低な夫・父に苦しめられる年月に培う絆は、生存のための同盟であり拠り所でもある。そして夫という敵から我が子を守り抜こうとする母の愛は、本能に過ぎないけれども、凄まじく強烈だ。私の場合は、母のその愛だけが拒食症で自分では生きる力も意思も失っていた私を生かし、成長させた。

    それだけの愛を注がれた記憶は、その母自身が遠くにいても、年老いても、“役”に立たなくなっても、自分が一人で、あるいは他の誰かと結び合って生きて行く力を身につけても、消えることがない。私は誰かにとことん愛される値打ちがある存在なのだと、絶対的な肯定感を与えてくれたのは、母の愛なのだ。

    私にとっては、母がいなくなる前にそれに代わる存在になる夫を見つけたのは、幸運でもあり計画的行動でもあった。

    ミッツィには、その“代わり”がいない。

    この世でたった一人、底なしに愛してくれる存在を失ったミッツィの気持ちは、想像するだけで辛い。月曜に日本へ発つ前に会えそうもないので、メールを送った。

    「私には、あなたの悲しみも痛みも取り去ってあげることはできないし、何物もあなたの失くした物の代わりにはなれない。お母さんがあなたにとってどれだけ大きな存在だったか、私には想像することしかできない。でも、ただ、私たちもあなたを愛していること、雨の中で、あなたの側にいたいって思っていることを、忘れないで。毎日その日を生きて。自分に優しくしてあげて」

    「ああミチ、ありがとう。今日はひどい1日だった(中略)。あなたの優しい言葉でどれだけ救われるか」という短いメールが返ってきた。

    他者の想いを受け止められること、自分の嘆きを露骨に表現できること、その辺から見て、たぶん、ミッツィはこの危機を乗り越えられるのではないかと思う。だって、あのお母さんの娘だもの。
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    南仏の運河下り

    リバプールっ子ミッツィ、オージーのロブ、フィリピーナのジェヴィ、夫と私。いつもの仲間で三度目の旅行先は、南仏のミディ運河(いちおう、世界遺産らしい)だった。

    カルカソンヌからカステルノーダリまで、距離にすればわずかだが無数の水門を突破せねばならず、けっこう難儀な行程となった。水門の前で陸に降り、ロープで船を固定し、水位が上がるのを待って放し、水門に入るとまた同じ繰り返し。南仏の容赦ない太陽のもとでの作業は、一回ならいいが一日中となると体力勝負だ。運動神経ゼロの上にひどい風邪の病み上がりだった私はお役放免となり、料理番を任された。夕方にもなるとみんなクタクタで、どこでもない河岸に船を停め、アホみたいに食べ、飲み、喋り、眠る。

    一緒に旅行をすると、お互いのいい面も悪い面も極端に見えてくるもの。4泊5日の間にはすったもんだもあった。でも今までにない風変わりで特別な体験だった。

    IMG_20180913_175640.jpg

    よっぽどええほうじゃ〜(国籍)

    EU離脱のおかげで、在留資格がややこしいことになってきた。要は、離脱時点で既にイギリスに居住していたEU市民(夫)については今後も居住を認めるが、その非EU市民配偶者(私)はその限りではないということだ。

    いろいろ細かい点はあるけれど一つ一つクリアすれば永住権→英国籍が取れるだろうと楽観していたのだが、来年3月までという期限では間に合わない可能性が出てきたわけだ。

    そこで夫の猿知恵。君を無理くりフランス人にしちゃおうか、って。そうすれば君本人がEU市民になるわけで、この状況下で日本市民よりは「よっぽどええほうじゃ〜」ってならない?

    まあフランス国籍取得にもいろいろ難関がある(フランス語とか)のでおいそれとは行かぬが、この発想はある意味目からウロコだった。フランス人になりたいなんて微塵も思ってないけど、場合によってはそれもアリか。

    国籍ってなんなんだろうと考えてしまった。

    なんちゃって日本食ブログ

    レシピブログを始めました。永年の在外暮らしで集めてきた、現地食材で安く簡単にできる和食もどきのレシピ集です。まだほとんど空白なうえに全部英文ですが、よかったらどうぞ。

    インドの特権階級

    毎年恒例のスイカ・パーティーをした。うちの中庭にご近所さんが集まって午後いっぱい、無垢なスイカを危険なテキーラに浸したフルーツポンチを主菜に、手まり寿司(日本人提供)、アドボ(フィリピーナ提供)、ハモンイベリコ(ほぼスペイン人提供)、フロマージュ(フランス人提供)などなど楽しんだ。

    ご近所さんらは、驚くに及ばずいろんな国から来ている。中の一人ディアはインド人エリートで、30代にして大手銀行の重役。裕福な家庭に生まれシンガポールとインドで育ち、ケンブリッジを出て、同窓生で同じくインド人エリートのアビシェクと結婚した。

    二人の間には珠のような女の子アミが生まれ、順風満帆の船出に見えた。しかしイギリスでは、高給取りとはいえ貴族ではない彼らには、インドで当たり前だったような大勢の使用人はいない。仕事と育児にてんてこ舞いの日々、それぞれ王女王子のように育てられた若夫婦はエゴがぶつかり合い、あっという間に破綻してしまった。娘の窮地を助けようとインドからディアのお母さんが頻繁にやって来ては長逗留していたのも、状況を悪化させた一因のようだ。

    知り合った頃まだ0歳だったアミはもうじき4歳になる。赤ちゃんの頃は朗らかで手がかからず、パブでもレストランでも天使のように眠っていた子が、両親の不和と別離、出て行った父親への思慕の中で、むずかり屋で我儘で人見知りの激しい、悲しい女の子に育ってしまった。

    無理もない。お母さんのディアは早朝アミを保育園に送ってからはストレスマックスの職場で一日を過ごす。アミはインド人のナニーが保育園で迎えて家に連れ帰り、夕食を食べさせ、8時ごろ帰宅するディアに引き継ぐ。日中ずっと他人の中で我慢していたアミは、疲れ切ったディアにべったりギャーギャー甘える。罪悪感も手伝って、ディアは娘を叱ることもなく、ただ泣かせ、機嫌をとる。

    私はディアとそれほど親しいわけではないが、その辺の事情は、なんせgated developmentという小宇宙を成すご近所なので、共通の友人から筒抜けだ。

    「アミはこの頃どう? ちょっとは落ち着いてきた?」
    私のこの訊き方が下手くそだったのだろう。
    「なんのこと?」
    しらばっくれるディア。そこでお茶を濁せばいいものを、テキーラスイカのせいで私は続けてしまった。
    「ううん、この前会った時、ちょっとご機嫌斜めかなと思ったんで。だって赤ちゃんの時はめっちゃご機嫌のアミだったじゃない?」
    「アミは、ず〜っと手のかからない大人しい子よ。周りの気を惹こうなんて全然しないし」。

    ここまで事実と正反対の主張を堂々とする気位の高さには、尻尾を巻いて引き下がるしかない。ただの近所のオバサンでしかないアンタに、私のプライバシーを詮索なんてさせるわけないでしょ。まあそういうことだろう。

    余計なことを訊いた私が悪いのではある。ただ、ディアの語気に、なんだか心地の悪い階級意識を感じてしまった。

    私はディアに、日本での自分の家系や生育環境は話したことがないが、逆にディアとアビシェクからは直接聞かされている。なんでかと考えると、明治以降の日本では、天皇か徳川の系統でもない限り、家系なんてものはあんまり意味がないので意識もしないが、インドではものすごく重要だ。生育環境にしても、単に金持ちなら日本でもひけらかす人は多いが、それ以外の特殊な環境は、ワザワザ言うようなことではない。親がどうあれ、本人がうまくいってるかどうかが重要なので。

    ディアの場合は、もちろん彼女自身の努力と才覚で今の地位を築いたのではあるけど、もともとインドで超お嬢でなければ、インターナショナルスクール→ケンブリッジ→エトセトラというコースのお膳立てはなかっただろう。

    ディアとお喋りしていて、ヨーロッパの大人であれば階級問わずフツーに通ってきたであろう愚かな失敗やヤバい経験を、何一つ知らないことに驚く。変ちきりんなバイトとか、マリファナがらみの話とか、こんぐらかった異性関係とか。それが良い事とは思わないけど、道を踏み外すのも人生の滋味じゃないのかな。間違いであっても、犯さないまま想像するよりやっちまって反省する方が、心が豊かになるような気がするって、負け惜しみか。たぶん負け惜しみだ。

    発展途上国(という表現に問題を孕むが)の特権階級の“特権”ぶりは、先進国(同上)の私たちの想像を超えたものだ。日本では、そこらのサラリーマンの娘だってロイヤルビッチ佳子さま同様にイギリス留学ぐらいできるし、したからって別に未来が開けるわけでもない。インドでは、ムンバイのゴミ山で売れるモノを拾っている子供は、どんなに頭が良くたってケンブリッジになぞ行けはしない。それだけに、インドで特権階級に生まれた人の選民意識には峻烈なものがある。

    というのは全部、インドを知らない私の、ただの仮説。なんかそんな感じがするので、もっと知りたい、理解したいと猫みたいな好奇心をそそられてしまったのだ。

    性差別の昨日今日 (Prime Suspect)

    今夜夫となんとなく観ていたのが、1990年代に一世を風靡した刑事ドラマシリーズ Prime Suspect。女性刑事ジェーン・テニソンが、警察内部での女性蔑視と苦闘し、女としての幸せを犠牲にしても、弱者を蹂躙する殺人事件を解決していく。イギリス刑事ものの必ずしもハッピーエンドでない特徴を踏襲している。

    警察の男たちによるテニソンいびりがあまりに酷いので、夫は「ちょっと誇張しすぎじゃないの」と言う。「いや、今から30年近く前、しかも超男性社会の軍隊や警察では、あんなもんだっただろう」と私。日本ではおそらく今でも、警察はおろかフツーの職場でもそうだけどね、とまでは思いはしたが言わなかった。

    現実の受け止め方が、男女でかなり違うんだなあ。

    1980年代後半、私は出版社で、編集長にろくな訓練もされないまま即戦力として3年間馬車馬のように働いた。ところが男性の新人が入ってくると、この若者に編集長は手取り足取りべったりになり、私なんて最初から居なかったみたいな扱いになった。

    その少し前、母は教会関係の職場で男性上司にレイプ寸前のセクハラを受けた末に不当解雇された。それを告発しようとしたところ、聖職者である教団上部の男どもがつるんで加害者の肩をもった。当時ちょうど東京教区長になろうとしていた父に「お前のかみさんを黙らせれられないなら、あの話は白紙だ」と圧力をかけてきて、父は自分の名誉欲のためにあっさり妻を売り払った。

    私が9歳から15歳までの間、3件にわたり別々の男どもによって虐待されたことには言及するまでもない。

    男性社会とはじつに子供じみていながら凄惨で醜悪なものだ。

    だけど男である夫には、その暴虐をまともに喰らった体験がないわけで、テニソンの苦境にも感情移入できないのだろう。ずいぶん共感力があり、人生の機微を知る人なのに、こと性差別に関しては、男であるというバカの壁は超えられないということか。
    プロフィール

    シカ

    Author:シカ
    夫のカエルとともにヨーロッパに住むシカです。シカは日本生まれですが、ここ20数年イギリス、フィンランド、ノルウェー、スペイン、ドイツ、振り出しに戻る(イギリス)と流れてきました。カエルはフランス生まれです。詳しくは自己紹介ページへ。

    引用・転載は原則として歓迎ですが、事前にご一報ください。どのような論旨・目的での引用・転載か、把握しておきたく存じます。

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