残照

    昔東京の出版社で一緒に働いていたMさんが、昨年亡くなっていたことを知った。

    Mさんは真正のイギリスおたくで、大学で英文学を専攻し、ヘヴィメタを愛した。夢叶ってロンドンに渡ったのは25年以上も前。以来当地でファッションジャーナリストとして働いていた。純文学の翻訳も手がけ、大手出版社から訳書が出ている。 

    「目には目と歯を」が口癖で豪放で激しい一面、脆さと優しさも抱えていたMさんは、イギリス帰りの私に興味をもち可愛がってくれた。仕事も私生活もダメダメな私はMさんにドヤされ励まされていた。でもある時、私はMさんに愛想を尽かされてしまった。それっきり交信は途絶えた。ロンドンで活躍しながらMさんは、多分、私のことなんて忘れていただろう。 

    それでも私からMさんを嫌いになったことは一度もなかった。10年ほど前自分もロンドンに住むようになってからは特に、Mさんはどうしているかなと時々検索していた。そして行き当たったのが、FB上の“Mさん追悼ページ”だった。 

    仕事に行き詰まっていたのかもしれない、失恋したのかもしれない。私がいやというほど味わった異国で独り生きる淋しさ辛さは、Mさんも同じだったろう。だけど遠い日、何かに落ち込んでは死にたいなどとこぼす私を「馬鹿なことグダグダ言ってるんじゃないよ」と叱り飛ばした彼女が、ロンドンのどこかで誰にも看取られず自ら命を絶ってしまった。泣き虫だった私はといえば、同じロンドンで、なんだか幸せになっているというのに。

    ダイアナ妃が亡くなった時、弟さんか誰かが「これほど愛されていたと彼女が知ってさえいたなら」と言っていた。Mさんも、彼女自身は思い出すこともない誰かがMさんを覚えていたこと、知らないまま逝ってしまった。私だけじゃない、大勢の心の中にMさんがいたこと、本人は知る由もなかった。

    一年も経って訃報に触れ、私はMさんのことを考え続けている。人は二度死ぬという。一度目の死は、その人の身体が消え去った時。そして二度目は、その人を知っていた人がみなその人のことを忘れてしまったか居なくなるかした時だと。  

    私の想いの中でMさんは、まだ存在する。それは、Mさんの命の残照‥‥陽が落ちた後しばらくの、うっすらと赤い光なのだ。Mさん、安らかに。

    悪口:ケイト・ミドルトン

    ウサギのように繁殖しているケンブリッジ公夫妻。ウィリアムのことは別にどうとも思わないが、ケイトの方は(日本でキャサリン妃と呼ばれていることも含めて)めっぽう気に入らない姑根性の私である。

    何が嫌いって、下品なのだ。化粧や服装もそうだが生き方そのものが、LMC(下層中産階級)丸出しにがめつい。イギリス中産階級は、上層中産階級であっても、上流に見られたい、あわよくば加わりたいというあさましさが独特の味わいを醸している。名古屋嬢みたい。

    ウィリアムは、母親の好みを受け継いだようだ。ダイアナは貴族ではあったがオツムが良くはなく、安っぽいわかりやすい趣味の持ち主だった。デュランデュランの音楽やヴェルサーチの服を好んだ。彼女の数多い恋人の中でもとりわけ夢中になった相手はフライドチキン大好きなパキスタン系の心臓外科医だった。ダイアナは少年のウィリアムを、わざわざ変装させてマクドナルドに連れ出したりもした。そのウィリアムはケイトのことを "My Princess Ordinary" と呼んでいたそうで、彼女が庶民であること自体に魅力を感じていたのかもしれない。

    だから好みの相手と結婚できてめでたしめでたしで、それでおしまいの話。なんだけど、王室のある国に暮らす身としては、ふう〜んとかも思うわけである。

    ケイトは母親がエゲツない上昇志向で、"Keeping Up Appearances" で揶揄されまくった見栄っ張り中流夫人を地で行く。ケイト自身も10代の頃からウィリアムの大ファンで、寝室の天井にポスターを貼っていた。そして母親にハッパかけられ王子と同じ大学に進学、見事ハウスメイトとなった。

    日本の紀子さんと似たパターンだ。高価な服に身を包み仮面のような笑顔を浮かべ続けても滲み出るあの下品さが、共通している。

    紀子さん同様ケイトも、一度もまともに働いたことがない。まあ大学在学中から未来の国王とデートしていれば、キャリア選びも不自由だったかもしれない。にしても、就職しようという気配すらなかった。そして30いくつになってようやく婚約を勝ち取るや否や、アホみたいにダイエットして洋服買いまくった。ストレスで痩せたとかじゃなく、意図的なのよと自分で言っていた。その後もなんかに憑かれたように痩せ続けている。摂食障害が蔓延する時代に、たいしたロールモデルだ。

    要するに、たまたま王家に生まれただけで人徳がつくわけじゃなし、趣味が悪いのもしょうがない。王室なんてロクなもんじゃねぇ。ぜんぜん意味わからんです。

    お休み中

    書く事が何もないので更新サボっております。そのうちまたネタを思いついたら続けますんで、気長におつき合いください。日常は相変わらずです。猫、夫、飲み友達に構われ(邪魔され)ながらロンドンの端っこで静かに暮らしております。

    帰英前夜

    春の恒例で私ひとり3週間、親の様子を見に東京で過ごした。帰りは羽田早朝発便なので、いつも出発ターミナル内のホテルに泊まることにしている。お値段的にはちょっと背伸びだが、3週間母と喋って夜更かしした後腰痛になりそうなソファーに寝て、毎朝5時半には父の立てる物音に叩き起こされた後では、まあ自分にご褒美あげてもいいかなと思って。

    ひとりでいるのが大好き、というより時々ひとりでいないと頭がおかしくなる私にとっては、すごく必要な休息時間だ。

    3時ごろ空港に着いてドンキホーテとかで安いお土産を買い、スーツケースを受け取って、増えた荷物を収納。コンビニの日本酒、おにぎりやカニカマなどで晩ごはんにした。入浴剤を入れてお風呂を二回。アホみたいな日本のテレビを見るともなく見ている。そろそろ眠ろうかな。明日は早く起きてお寿司を食べてから搭乗するつもりなので。

    おやすみなさい。

    赦すこと

    アイツのおかげで私は‥‥と思うことが誰しも一つや二つはある。大抵の人が、誰かの手で、取り返しのつかない、時にすら癒せない傷を負ったまま、なんとかやってきたのだろう。謝ってもらうとか治してもらうとかの次元でない加害者を、赦すことってできるのだろうか。

    できるできないではなく、赦すより他に方法がない。

    なぜって、ソイツは、いつまでも存在してはくれないから。恨む対象として存在し続けてくれれば、恨みようもあるけれど、いなくなったら、恨んでどうなるのか。恨んでいる自分も、いなくなるのに。

    私は遺伝子と環境でできている。ありがたいものも、迷惑なものも、もらって自分の血肉となってきた。犯人が明らかで手の届く場所にいた場合は、これは迷惑だったんだよ、どうしてくれると喚いたこともある。でも、当惑したり逆ギレしたりの反応から得るものは何もなく、私一人が傷ついていれば済むことを加害者まで傷つけて、ロクなことにならなかった。

    ハンプティダンプティ、割れちゃった卵。元には戻らない。割った人を責めたって、割れたものは割れたまま。

    割ったヤツを責める楽しみってものがあるとして、やっても何も返ってこないし、そのうちやることすらできなくなるし、そうしたらどうするの?

    割れた状態でオムレツ作るしかないんじゃないの?

    自己責任ということ

    この間、カズオイシグロの『日の名残り』について日本の知人と話していた。「誤った選択であっても自らの責任で犯した誤りだったと言えるダーリントン卿と、卿の選択に従っただけの執事では立場が違いすぎる」と私が言うと、彼は「でも従うという選択をしたのは、自己責任でしょ」と言った。

    自己責任、という言葉が流行語のようになって久しい。ワザワザ危険地域に渡航し怖い人達に捕まって国家を巻き込む騒ぎを起こした人たちなどを叩くのに盛んに使われる。

    私が幼い頃、母方の祖父が上京してくる度、夕食どきに両親と祖父が議論を交わしていた。日本基督教団は、自分たちが第二次世界大戦において政局に迎合し加担したという「戦争責任告白」なるものを公にしていた。その告白に、一言で言ってしまえば私の両親は賛成し、祖父は反対していたのだ。

    星目がちな理想主義の塊だった母は、篤信で人望厚い田舎の名士である父親が自らの非を認めないことに驚いていた。「どうしようもなかった。選択の余地がなかったんだ」と言う祖父に「お父さん、どうしてそんなことが言えるの」と詰め寄った。戦争中にはまだ子供だった世代に、徴兵され洗脳され殺戮に加わった世代の心中がわかるはずもなかった。

    私には、今になって祖父の言い分がいくらかわかる。自分のことを自分で決められないことを、従属という。自由がないということ。自分の心ではなく庇護者・所有者に“従う”者。大人に対して子供はそういう立場にある。国家に対して国民がそういう立場にあってはいけないのだが、ある。

    日本の政治は、国民の大多数を有象無象の衆にすることに成功してきた。戦前戦中戦後を通し、日本の報道と教育は、知識と技術だけは教え込みながら物事を自分の頭で考え選びとる力を養わないという離れ業をブレずに演じてきた。

    民主主義だ主権在民だ選挙権だと言われても、自由って何それ美味しいのという層にその器はない。考える力がなければ、新聞を読んでもテレビを観ても街頭演説を聞いても、本質が理解できない。だから責任ある一票を投じようがない。

    アメリカの南北戦争後に奴隷の身分から解き放たれ自分の意思と責任で人生を切り拓いていけるようになったのが、自由民。間違った選択であっても自らの選択だったと言えたダーリントン卿にはあり、従っただけの執事にはなかったのが、自由。自由は当然の権利ではなく、特権だ。

    自由のない身には、責任能力もありようがないと思うのはおかしいだろうか。そして自由をもつ特権階級には、それに比例する責任があるはずだが、それを体現する政治家や資産家にお目にかかることは非常に珍しい気がする。
    プロフィール

    シカ

    Author:シカ
    夫のカエルとともにヨーロッパに住むシカです。シカは日本生まれですが、ここ20数年イギリス、フィンランド、ノルウェー、スペイン、ドイツ、振り出しに戻る(イギリス)と流れてきました。カエルはフランス生まれです。詳しくは自己紹介ページへ。

    引用・転載は原則として歓迎ですが、事前にご一報ください。どのような論旨・目的での引用・転載か、把握しておきたく存じます。

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